なにもない、のは特別なのです

なにもない、といえばもう「パターソン」しかない。

すでに劇場公開は終わっていたのだが、早稲田松竹の再上映に行く機会があった。くそ邦画ならぬくそ洋画っぽかったのでひとりで行く。まあ予想通り、ひとりで行って良かったと思える映画ではあった。ただ違ったのはあまりにも最高なつまらなさだったということ。

とにかくなにも起きない。犬さらいが街に現れたり、双子が幻想のように現れるのだが、それは伏線として扱われずただの風景になってしまう。

どういうことなのだろう?

といってもしょうがなく、この映画はそのつまらなさを楽しまなければならない。

毎日同じバーに通う。ほんの少しの詩を書く。妻の作ったお菓子を食べる。愛犬の散歩をする。

これがいつまでも続けばいい。それをパターソン以上に観客が望んでいる。

 

 

そしてもうひとつ。

パターソンにはまった私はジム・ジャームッシュ制覇を心に決めた。そこで同じくパターソンを唯一見ていた友人を誘った。その第一弾が「BROKEN FLOWERS」である。

パターソンの何倍も見やすい。人に勧めるならここからにしたい。

女たらしがひょんなことから過去の女性たちに会いにいくのだが、設定もさることながら画がすばらしい。オープニングの手紙が運ばれるところなんか何回も見たい。

ラストも非常に良い。今まで周りを巻き込んできた側のドンが、巻き込まれる側になるのだ。この転換はすばらしいし、拭えない呪いが余韻として残る。

 

ジム・ジャームッシュ、完走したい。